8耐への思い チーム旅籠屋&e'FREAKSロゴ


 Vol.1 00.01.18 : ライダー松島
 初めて8耐を見に行ったのは1984年だった。鈴鹿サーキットへ行ったのも初めて。
 8耐というレースの存在を知ってから1年経っていたかどうか。
 当時すでに観客で溢れていた。サーキットもグランドスタンド以外はあまり整備されておらず、通路は大渋滞していた。
 サーキットライセンスを取ったばかりの頃だったし、バリバリ伝説やふたり鷹が連載されていたせいもあって、8耐より4耐のほうが身近で気になっていたかな。

 Vol.2 00.01.19 : ライダー松島
 8耐というレースそのものを知ったのは、たぶん1983年の秋。雑誌にその年の8耐の記事が載っていたからだと思う。
 どんなレースだったか、誰が優勝したのかなんて、覚えてもいない。
 もともとWGPに憧れてたし、2サイクル車が好きだったし、スプリントレースがレースだと思っていた。だから耐久レースに対しては「そういうレースもあるのか」という程度の認識だったのかもしれない。
 4輪の耐久レース(富士1000km耐久)を見て、レースやるぞって決意したのにね。
 「いつかは自分も...」そんなことは考えてもいなかった。不思議なもんで。

 Vol.3 00.01.20 : ライダー松島
 8耐出場を夢見てレースを始めた人もいると思うけど、私はそうではなかった。
 レースを始めてからもずっと、GP500やGP250がやりたかった。
 8耐と言えばTT-F1。TT-F1と言えば4サイクル。だからTT-F1や8耐はいわば別世界。
 目標は全日本のGPクラスでありWGPだった(しかし予選落ちばっかり)。8耐の「は」の字も、頭の中にはなかった。
 でもでも。耐久レース自体はやっぱり好きで、SPクラスの耐久レースにはよくエントリーしていたっけ。


 Vol.4 00.01.22 : ライダー松島
 84年以降は8耐を見に行くことはなかった。だって関東からだと鈴鹿は遠いし、レースが終わるのが7時半で、すぐに帰途についても帰宅は深夜。月曜は辛いよね。
(鈴鹿に通い慣れた今は、全然平気だけど。ちょっと遠くから見に行こうという方:できることなら月曜まで休暇を取ることをオススメします。)
 もちろんレースはめちゃ気になってました。衛星でTV放映するようになってからは、バイト先の有線で音声だけで観戦してた。ウイーク中は新聞も朝イチでチェックしてたなぁ。
 いつだか平さんがポール取ったときも異常に興奮した記憶があります。お客さん(バイト先のガソリンスタンドの)でバイク好きの人を捕まえちゃ「平選手がポールですよ〜」って。当時は日本人が予選で上位に名を連ねることはスゴいことだった。世界と距離がある時代だった。


 Vol.5 00.01.23 : ライダー松島
 初めて8耐を見に行った84年。4耐に国武舞こと清水国明さんが出てた。国武舞は転んだかトラブッたかで、レース終盤になってマシンを押してた。チェッカーが出ても押し続けてた。ゴールラインについた時はすでにレースが終了していた(チェッカーが出て5分(レースによって違う)で終了となる)。スタンドから拍手が起こってた。覚えている人は少ないと思うけど。
 8耐決勝でもゴールまであとわずかで、ヤマハXJに乗る上野選手がゴールライン手前でマシンを止め、チェッカーを待つ光景に出くわした。これは後々でも語られることが多かった。
 その時感じたのは、優勝や表彰台に上がれなくても、誰でも主役に成りうるレースだなって、それが耐久レースのいいところだなって。


 Vol.6 00.01.25 : ライダー松島
 94年に友人のYZF750SPに乗らせてもらうことになった。
 それまで鈴鹿6時間耐久や他のサーキットの耐久にも出たりしていた。でも8耐となると、ライダーとしての自分の技量にも自信が持てなかったし、金銭的にも想像を絶していた。
 しかし、その94年にそこそこ結果が出たら(国際A級昇格が見えてきたら)、周りのお膳立てもあって「突然」8耐が具体的な目標になってきた。
 そこから急に8耐に出るにはどうしたらいいのかと考え出した。そして偵察を兼ねて、94年の8耐を観戦に行った。そしたらめちゃめちゃ出たくなった。ドツボのはじまりはじまり〜。


 Vol.7 00.02.10 : ライダー松島
 95年に8耐に初めて出場することになった時。
 日本最大のレースだし、世界選手権だし、気合いも入った。でも耐久レースの経験はあっても、8耐の経験はない。大変だ、とは聞いていても、何がどう大変で、そのために何をしたらいいのか想像がつかない。
 それでもやっぱり完走したいから、いろいろ考える。その結果、対処できたこともある。想定外のことで困ったこともある。勉強になりましたね、ずいぶん。
 スプリントだと「仕方ない」で済ませられることも、多くの人が関わっていて、8時間を完走してなんぼのレースだから、そう簡単にあきらめる訳にいかない。
 あきらめの悪い自分向きかも? なんて今になって思います。


 Vol.8 00.02.20 : ライダー松島
 8耐の魅力はたくさんあるのだが、ひとつにはやっぱり完走の難しさがあると思う。
 目標順位や作戦通り走らせることはもとより、チェッカーまで走ることのハードルも結構高いのだ。真夏で8時間、ライダーにもマシンにも過酷な環境。
 完走できなかった時の悔しさったら、それは言葉では表わせない。やるせない気分。だからこそ、また挑戦しようとするのだろうし、チェッカーを受けられた時の喜びも大きいんだと思う。
 安全上の問題もあり、以前よりはショートカットなどの救済措置が増えたとは言え、毎年完走率は60%くらい。
 この「完走率60%」っていうのが、ビミョーに面白さを作り出しているんじゃないかな。


私の8耐への思い Vol.9 00.02.20 : PaPaさん mail
 初めまして。私は1984年に初めて8耐を観戦して以来、去年まで16年連続で真夏の鈴鹿に足を運んだ、自称8耐観戦のプロです。
 8耐に関する思い出は数え切れない程有りますが、やはり1番は85年のケニー&平さんのTECH21でしょうか・・・
 今でも淡いブルーのマシンがストレートで息を止め、カメラのフラッシュが真昼のようにYZFと平さんを浮かび上がらせたのを思い出します。

 この時は親父と初めて観たレースでもあるのですが、当時はまだウーロン茶等が売っていなく、コーラをがぶ飲みした親父が糖尿病になるきっかけを作ってしまった複雑な思い出もあります。


私の8耐への思い Vol.10 00.03.04 : ランディさん mail
 私は8耐はおろか鈴鹿に行ったことがない。
 もちろん、ず〜っとバイクが趣味だった私が8耐に興味がなかったわけではない。学生時代は東京から鈴鹿という距離が経済的に越えられなかった。しかし毎年のように「行ってみたい」とは思っていた。
 就職すると経済的には行けるようにはなったが、さまざまな理由により結局一度も行かなかった。他に楽しいことがいっぱいあったからかもしれない。

 そうこうするうちにいつのまにかレースに直接関わりを持つようになる。自分で走るほうには不思議とそれほど興味がもてなかったが、ひょんなことから草レースに自分のバイクを出すことになった。自分が整備したバイクがレースを走る。ライダーが転倒する。マシントラブルを起こす。…そして優勝する。
 自分で苦労して、みんなに手伝ってもらって、ライダーに頑張ってもらって…。チェッカーを受ける姿を見たときに自然と涙がこぼれた。気が狂うほど嬉しかった。単なる草レースでの話である。
 今まで画面で見る範囲でしか知らなかった感動がそこにあることに気がついた。表面で見るだけではわからない。すべてのチームにそれぞれのドラマがあるんだと気がついた。走るライダーは8耐のごく一部分だったのだ。テレビで見る8耐に別の意味での憧れが生まれた。
 「自分も参加したい。」
 もちろん本格的にメカニックの修行を積んだわけではない。素人同然だ。それでも、単なる雑用でもいいから8耐を手伝いたい。自分があの一部分になってみたい。
 心からそう思う。


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