8耐への思い チーム旅籠屋&e'FREAKSロゴ


私の8耐への思い Vol.11 00.03.24 : PaPaさん mail
 スッゴク個人的ですが・8耐ウィークで好きな瞬間

1位 Light Onのボードが出てからまもなくすると海側から吹いてくる爽やかな風
2位 真っ赤に日焼けした顔がもっと赤くなる平田町で飲んでいる時
3位 金曜夜 マンハッタントランスファーのトワイライトゾーンのイントロが聞こえた時
4位 花火を見上げ、今年も無事に8耐が終わったと一人感傷にふける時
5位 1年に2回ずつ10年通っている平田町駅前中華みえで、天津飯食べている時

番外 以前一度だけあったブーランジェリーがJトリップバー(ディスコ)になり
   キャンギャルの御姉さん達と踊っていた瞬間(金、土通った・・・

 Vol.12 00.04.04 : staff コーザイ mail
 初めての8耐観戦は84年、TT−F1が750ccになって最初の年だったと思います。
 当時名古屋の大学に通う友人宅に、北海道、横浜、高松から高校の同級生が集結し、バイク4台で鈴鹿へ向かいました。
 今のようにピットとパドックがきっちり分かれてなく、ピットから後ろはベッタリ1面のパドックでした。パドックパスを購入した我々は、予選、練習の合間にピットエリアを縦横に徘徊したものでした。うまくすれば(ずうずうしくすれば?)ピットの中までずずずいと入れましたので、サインや写真を頂きまくってました。
 まだ赤と黒の二色の「ガードナーレプリカ」をかぶっていた友人と、まだガードナーの「顔」を知らなかった私達は、襟にひらがなで「がぁどなぁ」と書かれたクシタニのはっぴを着たガードナー(らしき人)を見つけ、「おい、あれ、ガードナーちゃうか?」(実際そうでした)などと言っていた思い出があります。
 あの頃は、まさか自分が8耐のサインガードに立つとは、思いもよりませんでしたよ〜。


 Vol.13 00.04.23 : ライダーまつしま mail
 ライダーとしてメカニックとして観客として、何度も8耐を体験してきたけれど、毎回違った結果が出てくるし、違った体験をするし、違った感じ方をする。
 ライダーとしては、完走もあり予選落ちもあり、マシントラブルでリタイヤもしたし転倒もした。
 同じ結果の繰り返しになると人間すぐに飽きてくるけど、さすがにこれだけ違ったものが出てくると次を期待してしまいます。
 8時間の長丁場は見るのもやるのも大変だけど、そんな期待感がみんなを惹き付けるんでしょうね。今年も準備や練習で忙しいですが、がんばらせてもらいます。


 Vol.14 00.05.03 : staff KIO mail
 初めて行ったのは87年。同じ年の春に20数年ぶりに再開された世界GPを鈴鹿に観にいったのが、サーキットでの初めての観戦だった。そのあまりの迫力に「これは8耐も行ってみるしかない」と思った。
 当時、会社のセクションが広告部門だったので、代理店に指定席の手配を頼むと、S1最上段の放送席わき、ワークスのピット真正面のシートを取ってくれた。おそらくはコカ・コーラ関連の席だったのだろう。以後S1観戦がわたしの基本となるが、こんなに良い席は手に入ったためしがない。
 あとは感動と興奮の連続。グランドスタンドに響き渡るスタートの轟音。スプリントの連続のような展開。初めて目にするピットワーク。次々に脱落するワークスチーム。8時間はたちまち過ぎていった。その中で印象に残っているのは、直前のGPで転倒して首を痛めて出場をあきらめ、コルセットとサングラス姿でTECH21チームの監督をしていた平忠彦選手の姿だ。
 夕闇が近づきライトオンのサインが掲示される。この年の8耐はむちゃくちゃに暑かったためか、ホンダワークスをはじめ、優勝候補に挙げられたチームはふるわず 、ラスト30分にトップを走っていたのは、ヨシムラのセカンドチームだったゼッケン45。当時としてはめずらしいブルーのヘッドライトが闇の中で目立っていた。ピットにはポップ吉村の姿があった。
 暗くなったグランドスタンドのお客には、なぜか蛍光スティックが配られた。あれは鈴鹿サーキットのサービスだったのか。ヨシムラが勝てば、10年ぶりの勝利。2位のTECH21、マギーは追いつけそうもない。スタンドは徐々に盛り上がった。
 そしてご存知のとおり、ラスト5分での逆転。みし奈さんの「ゼッケン45番高吉転倒!」の声が響くと、「うおお」とも「わあ」ともつかない、音の圧力を感じるような重い大きなどよめきがスタンドに反響した。
 ヤマハは初優勝。マシンを再スタートさせることのできたヨシムラは2位。コースの中へなだれ込む観客。高吉とともに表彰台に上ったポップ。花火。あの夢のような8時間と終った後の感動とは、おおげさではなくたぶん一生忘れないだろう。
 この年の8耐が初めてだったことは、幸運だったとほんとに思う。翌年の88年は、レイニー/マギー組のぶっちぎりだったからだ。この年が初体験だったら、いまに至るまでの8耐中毒にはならなかったかも。


私の8耐への思い Vol.15 00.05.15 : kiyoさん mail
 初めて8耐を見に行ったときの衝撃ったらなかったです。
 ゴールの瞬間、応援していた選手が優勝した、というわけでもないのに、こみ上げてきた熱い思い。あふれ出た涙。パレードラップの光はとてもきれいでした。
 木曜日からの4日間、朝から晩までサーキットに入り浸り、私にとっては至福の時でしたが、終わってからの反動がすごかった。なんという脱力感、虚無感、せつなさ。決して疲れだけのせいではなく、8耐の余韻に見事襲われて、とにかくボーッとしてました。
 現実の世界に戻りたくない。。。そんな気持ちもあったのだと思われます。
 8耐とは、とてつもないヤツだ。それが私の8耐初体験後の感想。以後やみ付き。(爆)
 今年の夏ももちろん8耐には行きます。あのジリジリとした暑さの中、8時間を共に戦わないと、物足りない夏になりそうだから。みんながヒーローになるパレードラップや、あの花火を見ないととても損した気分になりそうだから。やっぱり8耐を見ないと、私の夏は始まらない!


私の8耐への思い Vol.16 00.05.31 : kiyoさん mail
 8時間、ただグルグルと走っているだけ。8耐はそんな単純なものではない。ジリジリと照り付ける太陽の下、それはそれはたくさんのドラマがコース上では展開する。
 観客はただそれを見ているだけ。確かにそうだけど、観客もまた8耐の大事な参加者だと思う。あの暑さの中、一緒になって戦っているのだから。
 きっと選手や観客だけではない。そこに集う人々全てが8耐を作り上げているのだと思う。内容は違えど、選手もスタッフもオフィシャルも観客も、それぞれのゴールの瞬間を目指してがんばっている。だから生まれるのだと思う。サーキットを埋め尽くすあの大感動。
 自分が主役の8時間のドラマ。誰もがそのドラマをサーキットで描いている。そして、泣いても笑っても、最後は拍手で互いの健闘を称える。そんな人々を大輪の花火が称えてくれる。
 長いようで短い、短いようで長い8時間。ぜひサーキットに行って実感してほしい。あんなにも内容の濃い8時間があることを。
★ この一体感を感じられるのが耐久のいいところですね。99年は特にそれを感じました。サーキットでもどこにいても、飽きない濃い8時間、ぜひ体験してほしいです。


Vol.17 00.06.15:ライダー岡田"セバスチャン"聡mail
いつからだろう? 8時間耐久に「出る」とういうことが夢ではな具体的な目標となってきたのは?
 80年代末期のレースブーム最盛期の頃にレースを始めた自分にとって、最初は予選通過が第一目標、昇格、そして8時間耐久出場などは白昼夢に近いものがあったのです。しかしその当時から、仲間たちの嘲笑に負けず「いつかはメジャーなところで、日のあたるところで走ってやる!と言続けさまざまないきさつがあり98年初エントリー。何故、セバは8hに出れたのか?
 才能があったから、ここの管理人さんがいたから、R1が速かったから、コネがあったから、カネがあったから、根性があったから、オトコマエだったから、、、、、、、、
 厳密にいえば一部を除いてYESであるのですがあえて「そうでない!」と言わせていただきたい。
 現在のセバがあるのはすべて「ともだち」愉快な仲間たちのおかげ、ここですべて挙げていたらきりがないのであえて割愛させて頂くが、馬鹿な奴と思いながらも見捨てず付き あってくれた友人たちの尽力によるもの。
 その友人たちのためにも今年も走る。正直、去年初めて8Hを走れてもうやめてもいいとも思った。いい時期ではないかとも悩んだ。でも今年も走る。何故か? 8Hは自分一人だけのものではないということ。応援してくれる人、かかわってくる人すべての思いを載せて走るというバトンの重さ。ライダー冥利に尽きるね。
 今年は結果こそ出てないけれど自分としては調子は悪くないつもりだ。トレーニングも昨年以上に重ねてきた。去年は相棒の転倒があり、ぼろぼろになったがチェッカーを受けたというドラマがあった。さて今年はどんなドキュメントが待っているのだろうか?
★ 私もいろいろ言われながらも、続けてきたおかげでここまで来たと思ってます。また、いろいろ言われて鍛えられたとも思う。周りの人たちにはホント感謝ですね。今年も感謝の気持ちを表わす意味でも頑張ろうぜ!(ライダー松島)


 Vol.18 00.06.19 : staff コーザイ mail
 耐久レースの醍醐味の一つはやはり夜間走行でしょうか。
 たしか94年、管理人まつしまさんが初めて8耐にエントリーする前年でした。我々は「下見」と称して観戦に行ったのでした。その年の8耐のフィナーレは、歴史に残る(と思います)スライトとラッセルの一騎打ち。ライトオンしてからもテールツーノーズでフィニッシュまでバトッてましたねぇ。
 我々はダンロップアウト側のパドックからの観戦でした。ダンロップを上っていくトップ2台が見えるのですが、2位のマシンのライトが照らし出すトップのライダーの後ろ姿が印象的でした。
 そんな中、特に感慨を覚えたことがあります。真っ暗なサーキットの中、空撮のヘリがトップ2台にずっと追随していたので、上空のヘリを追うことでトップがどこを走っているか窺うことができました。そして、パドックから望めるシケイン入り口からストレート、S字を経てデグナーへ消えて行くまで、2台と同じスピードで観客席を走るカメラのフラッシュ群。
 かつて4輪レース小僧だったころ、レース雑誌のインディ500の記事で、
 「時速400キロで観客席を歓声が走る」
というのを読んで鳥肌を立てたことがありました。
これかぁ!! その時も、さぶいぼ立ってました。
★ 94年は赤旗中断があったりしましたが、8時間のレースの最後に壮絶なコンマ1秒のトップ争いが見られたレースでした。歴史に残ると思いますよ。真っ暗の中、テールトゥーノーズでバトルしているコイツらってなんなんだ!...と思いましたね。


 Vol.19 00.06.28 : ライダーまつしま mail
 上半身は水着のビキニっていうおねーちゃん。以前はたくさんいたんだけどな。良かったな、夏っぽくて。
【求む、同意者。。。】


私の8耐への思い Vol.20 00.07.09 : 理々さん mail
 私の8耐初体験は86年でした。
 85年のケニーの飛び入り復活のレースを見に行けず、雑誌でしか追体験できなかった事が非常に悔しかったものですから、翌年は春先から何か取り憑かれたかのようにSUZUKAへ、SUZUKAへ、と欲求の根底が指向していた様に思います。(当時は高校3年生。青い!)
 レース自体はガードナー&Dサロン組のRVFの圧勝に終わりましたが、レースを見に行ったのではなくて「漠然とした何か」を見つけにいった高校生にとっては、ひたすら暑くて ひたすら埃っぽい中で ひたすらコースを眺め続けていただけの思い出しかありません。

 翌87年はKIOさんの紹介にある通りの展開でした。
 僕は4コーナーのアウト側に座っていました。ゴールまでラスト5分。高吉が転倒した瞬間、薄闇の中を特徴的な青い灯火が2コーナーのグラベルヘ滑っていって停まったその瞬間、2コーナーから4コーナーにかけての観客席には沈黙が輪のように広がりました。そして全員が立ち上がりました。この奇妙な静けさは実際にはほんの数秒のことだったのかもしれません。主観的には時が止まったかのような(やや情緒的な表現)数刻の後に、「高吉っ転倒ぉぉぉお!」との場内アナウンス。このあと僕は特に泣いたりはしませんでした。
 この年は、確かに「漠然とした何か」なんかじゃなくて「レース」を見られたのです。場内のみんなと体験を共有している感覚を味わえたのです。
 あらためて思い出して書いてみると なんだか懐かしいですね。

 やや脱線しますが、体験の共有という意味では、同じくSUZUKAでの86年秋の日本GPの話もついでに書いておきましょう。
 日本GPとはいっても、当時はMFJ主催の全日本RRの最終戦をそう呼んでいたのですが、招待選手として 世界GP250ccチャンピオンのCラバードやAマンクが出場し、世界GP最終戦でついに勝った平忠彦の凱旋レースでもありました。この日の500ccクラスで平は、国内で無敗だったガードナーを破り、彼の全日本での連勝を初めてとめたのですが、この時も僕は4コーナーのアウト側に座っていました。このレースで今でも不思議と鮮明に覚えているのは、平でもなく ガードナーでもなく、それを追走していた86年の全日本チャンプ木下がジリジリと引き離されつつも2分17秒を切った瞬間のことです。みしな氏のアナウンス「木下も16秒台に突入ぅぅぅうう!」 ここで2コーナーから4コーナーにかけての(当時は全て土手席)目の肥えたマニア諸兄からは この日一番のどよめきがあがったのです。
 僕には それが とてもホンワカと暖かなものに感じられました。そして「また来たいな」「この人達と見てみたいな」と思われたものです。
 当時は家庭用VTRが普及しはじめたばかりの頃ですが、TV画面を通して個人的に体験することと、現場で多人数で同時に体験することとには、やっぱり決定的な違いがあるのだな、と。それを実地に理解できた最初の体験がサーキットだったようにも思えるのです。
(ちょっと文学的にまとめすぎたかな?)
★ 今年の日本GPもそうでしたけど、あの一瞬をその場にいて、そして多くの人とともに迎える幸せみたいなのを感じましたね。8耐は必ずどこかにドラマのあるレースです。それをぜひ共有したいです。


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