全日本レースレポート      


'96 全日本選手権第9戦 鈴鹿2ヒートレース

 96年の8耐は準備不足がたたったか、悔し恥ずかしの予選落ち・・・。
 このまま終われないと思うのは当然の成り行き。

 そこで8耐の一ヵ月半後の96年9月、全日本選手権第9戦、鈴鹿2ヒートレースに出場を決めた。

 予選1回目ですでに、8耐の時のベストタイムを更新(しかも中古タイヤで)。でも全日本ではこのタイムでは予選は通らない。
 さらなるタイムアップを狙ってニュータイヤで臨んだ予選2回目。2周目の1コーナー、原因不明の大転倒
 1コーナーでシフトダウンが間に合わず、一速落ちきらずに進入。大きくラインをはずしてしまい、コースアウトもやむなし、と思った矢先、突然リアからスピンアウトのようにスリップダウン。
 グラベルベットにひっかかり、もんどりうつこと数回転。全身打撲で、うめきながらも大怪我には至らずに済んだが、マシンは立て転び数回転の上、激しく叩き付けられたようだ。

 決して責任逃れとかでなくて、本当に何で転んだのか? リアホイールが割れたのが原因と松島は見ているが、まわりの人たちはそうは思っていないようだ(^ ^;; 。とにかくマシンは全損・・・



 とにかくマシンの被害状況は深刻。一目でフロントフォークは曲がっているし、フレームも無傷とは思えない。 当然、外装はぼろぼろ。生き残っているのは、エンジンとスイングアームだけ。

 スーパーバイクは車重が重いせいもあるし、鈴鹿では転んではいけないコーナーのうちのひとつの1コーナーでイッてしまったのだから、軽傷で済む訳は無い!

 ということで、全身の痛みに耐えながら、ボロボロのマシンを積んで鈴鹿をあとにしたのだった・・・。(方角が悪いのかぁ?(泣))




'97 全日本開幕戦:鈴鹿100miles


 鈴鹿での大転倒後、監督の江端さんをはじめ、多くの人達に迷惑をかけつつも、なんとかマシンを修復することになった。

 目指すは8耐。まず全日本の開幕戦、鈴鹿100milesにエントリー。

 しかし第1戦が近づくも、大きな問題を抱えていた。
 頼んでいた97フレームの納期が大幅に遅れているのだ。その他のパーツはそろったのだが、フレームだけが来ない!フレームがないとすべての作業が進まない。
 最悪の場合を考慮して、友人の所有するノーマルの93フレームを借り出す。レースの1週間前には練習予定もあるし、とりあえずそのフレームで組上げることにした。
 そして、初走行。大転倒以来だし、半年振りの走行だ。果たして、ちゃんと走れるのか不安だったが、気持ちが前向きだからなのだろう、すんなり感覚を取り戻した。


 ゼッケンは8耐初出場の時の「71」を希望した。深い意味はないが、固定ゼッケンのほうがめんどくさくなくていい。レースごとに張り替えなくていいし。
 結局フレームは間に合わず、ノーマルフレーム&キットのスイングアームで臨むことに。補強の入っていないフレームなので「まっちゃん」コーナーや最終コーナーで振られが出たらこわいぞおぉぉぉ。

 公式練習では、いまひとつキャブセッティングがうまくいってないが、ライダーの調子は悪くない。
 そして予選。朝方の雨が残り、午前のセッションはフルウェット。
 雨のセッティングデータはほとんどなく、どうもキャブがうまくいかない。他の電気系のトラブルも考えられるので、ピットインを繰り返しながら、様子をみる。1回目の予選結果ならギリギリ通過だ。「このまま午後は大雨にでもならないかなぁ。」などとよからんことも考える。
 午後の2回目。路面はだいぶ乾いてきて、タイヤの選択に悩まされる。カットスリックは用意していなかったので、選択肢はスリックかレインか。
 ぎりぎりまで決断を待って、スタート直前に松島の下した判断は、フロントレイン、リアスリックというなかば冒険。
 これが効を奏す。ライン上はかなり乾いており、前後レインではとてももたない。かといって、フロントスリックは、リスクが大きい。
 正解は、フロント、リアともカットスリックだったであろう。しかし、前後レインの連中が脱落していくなか、松島はタイムを上げて、何とか32番グリッドをゲット!

 決勝は100マイル、28周のレースだ。一番の注目点は燃費である。他のチームはどんな作戦で来るのか? ノンストップか、ピットインのタイミングは?
 われわれは「8耐のために経験を積む」という大前提があるので、「ガスチャージあり」で行く。それも、奇をてらって5周目にピットインする作戦。
 しかし、この作戦は失敗。8周目にはだれよりも早く周回遅れに。(MOTORLAND2 で見事にトップグループを邪魔していたのが映ってしまった。トホホ)
 その後も単独走行でペースがつかめない。おまけにキャブセッティング、サスセッティングすべて失敗。マシンは走らないし開ければ曲がらない。
 結局、ノンストップのワークス勢に2周遅れにされ、悔しい31位でフィニッシュ。




'97 全日本選手権第2戦 SUGO


 あまりに鈴鹿が悔しかったので、第2戦のSUGOにもエントリー。1週間前に練習に出かける。
 SUGOを750で走るのは2年半ぶり。スーパーバイクでは初走行だ。何秒出るのかひそかに自分に期待していた。
 しかし、走ってみると意外にタイムがでない。マシンも速くなっているのに、これはどういうことだ? 納得いかない松島は、予定を延ばして走り込むことにした。

 事件は最後の最後の走行でおきた。
 どうしてもタイムを詰めておきたかった松島は、その日最後の走行で気合いを十分に入れてスタート。
 S字。リアが大きく滑る。あれーーー? と、言ってる間に、ものの見事にハイサイド。人間は前方に放り出され、受け身もとる間もなく、前面から着地!
うわぁぁーっ!やっちまった!
 両膝、右肘を強打。右肩、そして首が痛い。
 マシンはステップ周りとハンドル周りが壊れたが、被害は小さい。ん、あ、新品のフォークとフレームに傷が・・・。
 人間のほうは、幸い、骨折は免れたものの、肩と首はレースに影響が出そうだ。両肘と両膝にはものすごいアザを作ってしまいました。


 レースウィーク突入。
 手負いの戦士はうめきながら公式練習を走る。前週の2秒落ちのタイムしか出ない。
 エンジンはパワーのある「Catherine(キャサリン)」(もう一方はJane(ジェーン)ね)を積んできた。しかし、エンジンパワーの問題ではない。足周りも、なんだか開けていくと曲がらない、というだけで、それ以上のことはライダーがこんなんではわかりゃしない。

 そして、予選落ちそれも基準タイム(トップのタイムの110%)落ちの可能性を秘めたまま、予選を迎える。

 気合いなのか集中力なのか、首の痛みはおとなしくなっている。1回目予選、タイムは何とか38秒台に入れたが、順位は期待できない。B組で20番手(21台中)。午後の2回目。わずかにタイムアップしたものの、やはりB組20番手。結果、総合では何と40番手! つまり予選最下位通過。「振り向けばポール」というやつだ。
 久しぶりに何が何だかわからないうちに予選が終わってしまった。決勝では何かをつかんで帰りたい。

 が、決勝もぱっとしない。足周りが煮つまらないのと、ライダーが手負いなのとで、走れども走れども、タイムも順位も上がってこない。
 途中、前を行くライダーに馬の背の突っ込みで追突しそうになったり、1コーナーで変なラインを通って接触(吉広君ごめん!)、危うく転倒をフルカウンターで持ちこたえたり。それでも、接触の間に前に行かれた友人の安西君を抜き返して、一生懸命走ったのだが、あえなく26位でレースを終える。

 このレースでの大きな収穫は走りの方ではなく、RC.SUGOさんからいろいろ情報を得られたことかなぁ。
 あとは久しぶりに仙台で牛タンを食えたことぐらいか。




'97 全日本選手権第4戦:鈴鹿200km


 8耐のエントリーも済み、前哨戦として鈴鹿200kmに出場。全日本の中では最もレベルの高くなるのがこの200kmである。8耐をにらんでの出場が多くなるからだ。

 ここで予選通過を果たせれば、8耐の予選はほぼ安泰。当然われわれも予選突破が大目標。ところが、そんなに甘くない。

 マシンはいくつかのトラブルも解決し、だんだんと自分の思い描くように走ってくれるようになってきた。問題はライダーの資質。人間様もステップアップしないとね。

 予選1回目、やはり厳しい。2分19秒台では問題にならない。17秒を切るくらいがボーダーラインだ。2回目、予選通過は棚上げして、とにかく少しでもタイムアップしよう、次につながる走りをしよう、と切り替える。結局、18秒台にはなんとか入れたものの土曜日でわれわれのレースは終わってしまった・・・。

 8耐までのレーススケジュールは全て消化。あとは何回かテスト走行をしたら、マシンは最終段階の仕上げをし、自分はいろいろ事務的な仕事が待っている。



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