'99 鈴鹿8耐 岡田聡の独白
一部割愛と段落付けを追加しましたが、基本的に岡田聡本人からの原稿をそのまま掲載しました。- 管理人
「ひと雨来るかもしれないな...」
2回目のライダー交代を終えて、クーリング用のプールにつかりながら、テント越しに空を見上げても雨雲が見えるわけでもなく、強い日差しと見事な入道雲が沸き上がる夏の午後でした。
「岡島、リアホイールにレイン組んどいて」
そう、恐るべきことに当チームは8耐の現場に入るまでスペアホイールがなく、すべてのパーツの手配がついたのは、耐久ウィークの水曜日。中でもレイン用のスペアホイールは、いつもお世話になっている「チームぷらいず」の尾高選手からのレンタルだったので、言い訳にしかなりませんが、「雨が降りそうになったら組めばいいや」ということで。今年の耐久ウイークは、幸か不幸か雨が降らず、他の雑用にかまけ、恐るべき事にレース開始2時間過ぎまで、レイン不在という信じられない体制であった訳です。
スポーツライダーの後輩であり、自身、地方選手権トップライダーで「今日は降らないでしょう。どうしたんですか?」とけげんそうな岡島君に「いや、まだ先は長いし、なんか降りそうな気がする。」と答えると「そうですね。降ったらヤバいからサービスに出しておきますよ。」と走り去る。
岡島君の後ろ姿を見送りながら、こんな事を今頃になって気付く私が、この場にいていいのだろうか?と自らに問いかける私でした。
事の起こりは、98年の8耐エントリー締切の前日、チームメイトの阿部健二君から「8耐エントリーしませんか?」というお誘いに対して、人員的にも物量的にも非常に苦しいとはわかってはいたのですが、レースを始める以前からの夢であった8耐にエントリーできるという誘惑に勝てず、ふたつ返事でOKしてしまいました。
しかし結果は、コースにオイルが出たり、非常に変則的なコンディションではあったのですが、予選落ちがナシという絶好のチャンスにもかかわらず、コンマ1秒基準タイムに届かず予選落ち。午後の予選では通過タイムが出たので、安心していたのですが、オイルが出る前の午前の予選のタイムが午後を上回ったため、嘆願書を書いてみたりしたものの結局ダメ。日曜日、コースサイド・ピットで友人や先輩達が走るのをペンでは表わせないほどの悔しさを隠し観戦するハメとなりました。
それからです。今まで夢であり憧れであった8耐が具体的な目標であり、ライフワークと言っても差し支えないほど大きな存在になったのは。
実力を全部出して予選落ちをしたのならともかく、非常に後悔が残る内容だったので、来年は絶対最後まで残る体制を作ろうと誓いました。
まず車両の決定。ヤマハよりX−フォーミュラのニューウエポンR1。親友でありライバルである岩城レーシングの柳本選手が、ほぼSP仕様+スリックで98年の8耐で20秒を切っている。ライダーでかなわない分、車両をモディファイしていけばなんとかなるはず。自身で予約もしてあり、以前乗っていた750のパーツも使えるかもしれない(これは後に激甘な考えであったのですが)という期待があり決定。
次に自身のチューンアップ。このホームページの8耐特集で私の紹介の中で、暑さに弱いとありますが、何も返す言葉がなくその通りです。基本的に汗かきなのと、お酒が好きなので、夏のスポーツ走行やレースは「部活のシゴキ」か共同演習の兵隊の皆様か?というくらい必要以上に汗をかき当然へろへろとなります。
そこで30才をずいぶん前に過ぎているので、これ以上の体力の回復は何もしなければ望めない。お酒を止めろというのもたぶん難しいでしょう。それならば、汗をかいてもタレにくい体を作ろう、ということで、仕事の帰りにスポーツクラブに通い、水泳とサウナに精を出すことにしました。何かの雑誌で、ヤマハワークスの芳賀選手が、サウナは8耐のコースにいる時のコンディションに近いと言っていたのがその根拠。水泳は言うまでもなく全身運動で体力アップに適していると思われたから。効果はあったと思います。あの程度のタイムでは本当に大きなことは言えないのですが、何の対策もとらずに行っていたら、最後まで走れたどうかも疑問です。
とりあえず今回は一応プールに入って10分もすれば動き回れるようになりましたから。あと、こうまでトレーニングしたのは何の為だったんだ?と自分の走行時間で体力的にきつくなってくる15周を過ぎたあたりで自問自答をすることになり、精神的な自分のバックボーンになっていたことは確かです。もしかするとフィジカル的な効果よりもメンタル面でのほうが大きかったかもしれません。
次にペアライダーの選定。98年の8耐の時にエバタさんの第3ライダーとして来ていた管理人さんこと松島選手に打診をし、他にも友人やいろいろ話をするライダーの中からペアリングを考えた結果、確か98年の12月松島選手より翌年の問い合わせがあり、8耐のパートナーを依頼したところ、体制的な面では「?」であったものの、お引き受けいただいたので、そこでライダー探しはやめ。理由としては、彼のライダーとしての実績、能力、人柄、年齢が近い(というより同じ年)、家が近くである、私の出した条件で走ってくれる、ということから決定。特に中でも私自身にそういうことを批評する資格があるかはさておいて、半年以上さらに最後の1週間は200時間以上一緒にいる訳ですから、特に疲れがピークになるウイークの土曜あたりによけいな衝突をしたりすればまともな精神状態で日曜が迎えられなくなるというのは、考えるまでもないこと。
実は今だから話しますが、それまで松島選手とはそれほど話す訳でもなく、顔を合わせれば挨拶をする程度だったので、私自身が決して必ずしも温厚な人間ではないので、「松島さんて穏やかそうだけな人だけど、もし強烈な人だったらどうしよう」という心配もありましたが、その心配は杞憂でした。松島選手に相棒をお願いしたのは大正解でした。
最後に体制作り。納得できるスタッフを集めるには、メカニックを雇ってくればいい。しかし当チームにそんな余裕などなく、レース好きな仲間に好意による急造でこなし、来られる日から現地入りしてください、という感じ。その割には(と言っては失礼だが)みんな100%以上の仕事をしてくれました。タイヤ交換、給油はもちろん、イレギュラーのタイヤ交換、転倒の修復にも迅速に対応してもらいました。ここで改めて感謝します。最後まで走れたのは皆さんのおかげです。ありがとうございました。
年が明けて99年1月5・6日よりテスト開始。この時点の変更箇所はスイングアームの補強、750用のフロントまわりのみ。カウルもマフラーもノーマル。レーシングエキゾーストに慣れた自分にとって静かな(?)風の音の中から130Rや1コーナーへダイブしていくのは変な感じ。悪コンディションの中でも自己ベストに近いタイムを連発し、まわりに「今年の岡田はイイゼ」と吹きまくる。
2月。寒いのをいいことにスノーボード三昧。心配する松島選手やライバルチームに「転ぶ練習と足腰の強化じゃ!」
3月。ようやくマフラーが「アクラボヴィッチ レーシングライン」に決定。量産品でしかも輸入モノなので「?」のイメージがあったが、送られてきたモノの精度の高さにビックリ。ジョイントも少しナナメに入れると全然入らず「違うパーツじゃないの?」と騒ぐひと幕も。3月27日に乗ってみてのインプレは、やはりEXUPがなくなり中速がなくなり、それまで2速だったり3速でまわっていた2コーナーや東コースのショートカットで戻るところ、きっちり2速まで落とさないとまるで走らなくなった。おかげでタイムは1秒近くダウン。これがモータースポーツの難しいところ。最高速はあくまでメーター読みだが10km/hアップ。レーサーなのにスピードメーターがついていて不思議に思う人もいるでしょうが、これが意外といいんです。マーキングポイント(例えばバックストレッチブリッジ下、ホームストレートタワー下など)で何km/h出ているか、その手前のコーナーの脱出スピードにより一概に決定はできないのですが、セットアップをしていく上で非常に参考になりました。ミッションから取っているので駆動ロスもないハズですが、唯一の欠点はマッチャン、130R、ダンロップ下などで、すごいスピードが出ていてビックリすることです。
話がそれましたが、キャブセットも どノーマルで、特に体感でトルク変動の谷もできず、高回転域でのパンチもきいていていい感じ。
29日に松島選手が合流しファーストライド。1回目の走行で岡田の前回のベストとほぼ同タイム。「さすが」という感じ。インプレで特に問題はないという感想をもらいほっとする。
40分の走行なので、最初に私→松島という感じで走ったが、この日は3月の終りにしては寒く、重量クラスのマシンがバタバタ転んでいたのでイイ感じはしなかったのだが、ラスト5分でスポーツライダーのチームメイト和田選手の彼女が「岡田さんのオートバイ、戻って来てないみたい」とのこと。
「ゲッ」という感じで戻り、モニターでチェックすると、3コーナーで土煙もうもう。その中に見慣れた真白のカウルと、クラッシュパッドの下にいる松島選手の足が見える。すぐにチェッカーとなったので、回収車両に飛び乗り現場へ直行。ライダーは救急車で運ばれたのでマシンをチェック。左コーナーの為、損傷箇所はカウル、タンク、ステップバーとお決まりの所。意外と大したことはなさそう。初転倒だが、これであきらめというか、ふんぎりがつき、何故か自分は納得している。それよりライダーは?と医務室へ着替えを持って行くと、松島選手は「申し訳ない。後ろからイった。」とのこと。古い中古タイヤで走らせた自分にも問題があるので、「車はいいけどそれよりケガは?」「腰がしびれる」とギョッとするようなお返事。個人の事だからあまり言わないけど脊椎パッドはしょったほうがいいと思うよ、マジで。
そんなこんなで鈴鹿を出発したのが午後5時。家に帰ったのが午後11時。あぁ疲れた。
4月17・18日宮城県のスポーツランドSUGOでのサウンドフェスティバルにエントリー。去年もこのレースにエントリーして2位となっているので、今回は密かに1番高い所をと狙っていたのだが、現地入りしてあまりの寒さにビックリ。特にリアタイヤが耐久と同じコンパウンドだったので「まいったネ」という感じ。レースのほうは元GPライダーの沼田選手とハニービーの長谷川選手の一騎討ち。サイティングラップでチームメイトの船山選手がS字でとんでいるので、さらにビビリが入りつつ、3位に上がるもののラスト3周で小野選手に抜き返され4位に転落。やばい。「表彰台はキープじゃー」とアタックを開始。ラストラップはシケインの切り返しでイン側のグリーンに乗り上げるほどヒートしつつも総合4位クラス2位。寒い時期にコースアウトしてベストの1秒落ちが出ているのであるから、それなりのリザルトではあるのだろうけど、内容が悪く本人は表彰台でもムッとしていた。岡田もえらくなったもんです。
5月23・24日鈴鹿スポーツ走行。松島選手がケガの為しばらく走れないので、セットアップに専念。一応想定タイムが出る。夜、岩城レーシングの柳本選手、和田選手と焼肉屋で爆食爆飲。何でレース仲間と飲む酒ってこんなにおいしいんだろう。
24日は東コース。終わっているタイヤでベスト連発。チームモトキッズの鷲見選手とデッドヒート。レベルが低いなりのタイムアップであるが、気分が悪いはずもなく、岡田の口から「スライドコントロール」なるセリフが出る。まだスプロケもチェーンもノーマルです。そういえば今日の練習の行き道で車のダイナモが箱根を越えたところでパンク。気が遠くなるような距離をいつ止まるかとドキドキもんで往復しました。特に行きは深夜の為、恐怖も倍増。皆さん、車のメンテは出発前に必ず行いましょう。
6月13日鈴鹿スポーツ走行。今月より松島選手戦線復帰。自らの力で現状では予選突破は望めそうもないのでセットアップのみ。タイムアップはできず。一応自分なりにOKは出したが、はたして松島選手がどういうコメントを出すか楽しみ。ところが松島選手のスポーツ走行はことごとく雨。さすがが雨の松島といったところか。
7月5・6日ヤマハ耐久向け走行会。前日のSUGOオープン耐久に出場した松島選手と合流。梅雨が明けておらず天候が心配されるが、割と私が希望した天気になってくれるので「晴れ!」と決めつける。
今回よりチェーンが520、ファイナルを変更。タイヤも新品。大幅タイムアップのはずが、松島・岡田とも2日でさしたるタイムアップが見られず、帰りの車中はフラストレーションのかたまり。これがモータースポーツのおもしろさ、難しさといったところ。
そう言えばとうとう梅雨の時期スペアホイールなしで乗り切ってしまった。
今回テストしたオートスタッフ末広(千葉市)にオーダーした車高調。リンクロッドレバー比も変わるので難しいといえば難しいですが、ノーマルサスで車高を変えたい、もしくはレバー比を変えたいという人にはおススメです。市販はしていないので詳しくはオートスタッフ末広(043−261−0184)の高坂氏まで「岡田のR1についている車高調の件で」と問い合わせれば丁寧に対応してくれるハズです。
岡田のムチャなオーダーにも小回りを利かせて、いろいろな物を作ってくれました。ありがとうございました。そのうちこのホームページでも紹介してもらいます。
7月20日(火)いよいよレースウイーク。
午前中ゆっくり寝て、午後から「ダイクマ」へ買い出し。ゴザや子供用プール等々、ほとんど遠足の子供状態。あれもこれもと買って、つまらないものまで買いすぎてしまった。しかし無駄遣いほど楽しいことはないですナ。
夜出発。積み忘れがあると面倒なので、チェックに時間がかかる。ほぼ過積載というくらい積んで出発。途中、大磯のあかつきさん家により、Tシャツと工具を受け取り出発。現地で見た方もいると思いますが、当チームが着ていたTシャツ、あれはあかつきさんのお手製です。
7月21日(水)午前5時、現地到着。
本日は搬入と受付のみ。とりあえず松島車に到着の件を連絡し、仮眠して待つ。ところが松島車のエンジン音で目が覚めたのは2時間以上後。コンビニで車をぶつけられたとのこと。波乱の幕開けを予感させる。
搬入を終わらせ、久しぶりに会うライダー仲間と井戸バタ会議。同じ目標を持つ仲間だと本当に話が進む。ちなみに私は会社ではサーキットの3分の1くらいしかしゃべりません。
クアガーデンで汗を流したあと、メカニックの直井くんと合流。岩城レーシングの柳本選手、和田選手とも合流し夕食へ。ところが午後9時を回ったばかりだというのに軒並み閉店。しかたなくサーキット通りの飲み屋へ。結局こうなるのね。
7月22日(木)7時起床。同時にあかつきさん御一行様到着。
例年だと火曜からあるフリー走行が今年は木曜日しかないので、当チームはセットアップの為やることてんこもり。なんといってもこの仕様で走るのは本日が初めてですからね。
午後に宇佐美君夫妻と合流。ムードメーカーの哲哉君と紅一点のちーちゃんの登場で一段と盛り上がる。
午前午後の走行とも、抜かれる抜かれる。さすがは世界選手権。たまに抜けるライダーは、明らかに今日初めてスーパーバイクに乗りました的助人か慣らしをしている人。みなさんご迷惑をおかけします。
夕食はほぼメンバーがそろい中華屋へ。街も耐久ウイークという色合いが濃くなり、自分がその中に参加していることが、やけに嬉しい。
本日より車中泊から民宿へ。足を伸ばせて虫もいないのにもかかわらず、寝付き悪し。消灯11時。明日はがんばるぞ。
7月23日(金)いよいよ予選開始。
1回目の計時予選が終わった段階では、当チームはとりあえず予選通過ラインにはいるのですが、予断は許さない状況。というのは1回目の予選をパスしている有力チームがいくつかあったからです。午後から雨にならないかな、これは岡田の独り言。
午後の予選開始。松島選手を見送りながら、コースインする車両を数えると全車出走。あっという間に当チームのポジションが落ちて行く。S-NKクラスは下位2台がおそらく予選落ちと思われるため、上はともかく下のチームを見ながらタイムアタックをしなければならない。リーダーボードで順位を見るとS-NKで後ろは1台しかいない。ということは、とりもなおさず悲しい予選落ちのピンチな訳です。確認のためピットインしてきた松島選手に「○○選手が19秒台に入れたよ」。松島「なに〜」男松島選手はやってくれました。その後のラスト4周はピットから見ていても鳥肌が立つ程シビれました。20秒台を連発しラスト1周。モニターを見ると、KRTの柳川選手にまっちゃんからスプーンまでそれほど離れずに付いていくじゃないですか。「行け〜、行け〜」ピットは総立ち、モニターに釘付け。聞き慣れたアクラサウンドがストレートを通過。タイムは? やった〜逆転だ〜。コンマ1秒差でクラス11位に再浮上。あかつきさんとがっちり握手。ちなみにこの時コンマ1秒差で抜いたチームというのが、仲良しの柳本選手の岩城レーシングなのです。さすがにピットも隣なので大騒ぎする訳にもいかず、戻ってきたヒーロー松島選手を拍手で迎えつつ、手放しでは喜んでられないな〜というのが正直なところでした。
予選が終了した後、柳本選手が僕達のピットへ来て笑いながら「何をやってくれたの」の一言。あれでずいぶん救われました。結局は彼等のチームもめでたく予選は無事通過したのですが、この時点ではまだ微妙な状況。それでも私たちに気をつかわせまいと明るく振る舞ってくれました。別にスポーツマンシップとかそういうことを言うつもりはないのですが、こういう状況でどう振る舞うか、それにより人間の器は決まってくるのではないでしょうか。敵ながら天晴れの一言です。
私ですが、午後の予選でタイムアップはしました。しかし転倒を喫しました。7/5の転倒が5年ぶりだったので、次回は2004年のはずだったのですが...。
言い訳させていただきますと、確かにいい感じで乗れていたんです。目標となるライダーが少し離れてしまったので、ペースを落として再アタックと考え、様子を見ながら振り向くと、すぐ後ろにバロス選手。どこでパスしてもらおうかな〜と考えながら前を見ると、あ〜ヘアピンのブレーキポイントを完全に行き過ぎてる。久しぶりのパニックブレーキ。そこでの転倒は逃れたのですが、コースアウトでグラベルへ一直線。グラベルへ入ったとたん、モトクロスをやるヒマもなく転んでました。これを書いていても顔が赤くなってくる。あ〜恥ずかしい。名前も岡田聡から岡田恥にしたいくらい。マシンを起こして軽傷だったので、逃げるように再スタートしてピットまで帰りました。メカニックのみなさんに余計な仕事を作り申し訳ありません。
そして夜のナイトプラクティス。夜間走行ですね。コースインする時に後方確認で見るヘッドライトの美しさと言ったら... ほとんどこれが見たくて8耐にエントリーしているようなものですからね。8耐に出ているんだなぁと実感する一瞬であります。それはさておき、7時頃までは残照でけっこう明るく、あまり昼と変わらない感じ。むしろ涼しくて体力的にはOK。ところが完全に日が落ちてからは、虫がシールドにベタベタ付くは、結構明るいと思っていたヘッドライトも心細い限り。それにしてもみんな、夜に峠を走っていたローリング族かよ〜というくらいハイペースだったのが印象的でした。僕も峠は夜ばっかり走っていたのにね。
そんなこんなで、さすがに今回は転倒もなく無事終了。その晩のビールがうまかったのは言うまでもありません。本日の消灯は午前1時です。ハイ、みなさんお疲れさまでした!
後半へつづく...
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